平井収二郎先生誕生之地

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高知市

幕末の志士。号を隈山といい、天保6年(1835)この地で生まれた。はやくより文武を志し、英邁闊で戦国策士の風があったという。文久元年(1861)に武市瑞山の土佐勤王党に加盟する。翌年、藩主、山内豊範に従って上洛し他藩応接役として活躍したが、その後山内容堂が赦免されて藩政を掌握することに先手を打ち藩政改革を企てた。このことが容堂の怒りにふれ、同志の間崎
滄浪、広瀬健太とともに切腹を命じられた。獄中での爪がきの辞世「嗚呼悲しき哉」は藩史に削りとられたが、維新後、妹の加尾によって復刻された。享年29歳。墓は右手、丹中山の東麓にある。
(看板引用)

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