南北朝時代古戦場跡

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高知市

南北朝時代(1333〜1392)の土佐は足利尊氏の重臣である細川氏の支配下にあって北朝勢力がかなり強かったが、南朝勢力は大高坂(現在の高知城と同一地)を本拠とした大高坂松王丸を中心に頑張っていて、両派の争いが長く続いていた。やがて、後醍醐天皇の皇子の花園宮満親王、新田綿打入道、金沢左近将監らの武将が下向して加わり、南朝方は一時勢力をもりかえした。そこで北朝は、ここ枡形近辺にあったといわれる安楽寺に砦を築いて、大高坂城への攻撃を繰り返しおこなった。一方、新田、金沢らは花園宮を奉じて潮江山(筆山)に陣を設け、数千騎が大高坂城を救援しようとした。その最も激しい戦いがくり広げられたのがこの辺りであったといわれる。「佐伯文書」によると大高坂城は興国元年(暦応3年、1340)に陥落、松王丸は城の西木戸あたりで戦死したといわれ、花園宮はその後西国方面へ脱出した。なお松王丸の墓はもと高知市役所敷地内の大公孫樹(銀杏)の場所にあったと伝えられ大高坂神社が建てられたが、戦災で焼失したため昭和21年に久万の松熊神社に合祀された。市役所前広場には松王丸の記念碑が建てられている。
(看板引用)

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