吉福家住宅

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土佐清水市松尾

国指定重要文化財

吉福家の歴史
明治六年(1873)初代吉福嘉太郎は五十石のいさば船(鰹・鯖・節類・干物等の運搬船)を一隻買い取り回船業に従事した。明治十年(1877)のこと、嘉太郎は雇人のための盆米の買い付けに入港した宮崎県日向細島でその運命を大きく変える出来事に会う。西南戦争の動乱真っ直中の細島で三百石の玄米を抱え、町外への避難ができず困り果てる回船問屋関本源兵衛から嘉太郎は押しつけられるようにその玄米を買い取り帰港した。土佐では世情不安で九州方面からの入荷が無く米が品切れ、持ち帰った玄米は瞬く間に高値で取引された。時運に恵まれ望外の利益を得た嘉太郎はこの飛躍を基に以後巨額の富を築いた。二十六歳で家督を継いだ二代目嘉太郎は漁業・鰹節製造・金融業等にさらに手広く事業を展開し初代の数倍の財産を築いていった。明治三十四年(1901)二代目嘉太郎によって、足摺の自山から選び抜かれた良材が集められ、現在の吉福家住宅が建築された。

吉福家住宅の特徴
吉福家住宅は高知近代和風建築の傑作である。間取りは身分制から解放された自由な思想を反映し、封建時代の士農工商のそれぞれの身分の家の機能と空間を併せ持つ。田の字型間取りの南面座敷は武家風の書院付き床の間を有し、北側奥の間には帳場風出窓を設け、家業の事務処理や貴重品管理を目的とし防犯を考慮した太めの格子が取り付けられている。主屋西側の広い土間は鰹節加工の納屋人や舵子(漁労に携わる漁師)の食事や作業の場として使用され、農家風の狭い土間は土足のまま仏壇を拝することができる。小屋組は一間ごとに四段梁が組まれ南の強風を考慮した頑丈な構造。床柱天井裏の左右には豊漁祈願梁と考えられる、櫓(ろ)形の二本の梁が南の海に向かって取り付けられている。また敷地東面には端正で強固な野面積みの防風石垣が設けられ台風常襲地域の風土を物語る。吉福家は高知県西南部における近代網元の代表的な家である。
(看板引用)
開放時間8時〜15時頃まで
外部拝観(無料)
駐車場有り

吉福家住宅

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