鳴無神社C
トップページ>高知県の観光>ジャンル別高知県の観光>高知県の伝説・昔話>鳴無神社
高知県内の伝説
同神の霊を慰めたるためのお船遊びという神事がある。土佐探古録によれば、四十七代淳仁天皇の天平寛宇三年(西暦七五九年)に始まったとされている。瀬戸内海をしのぐ風光の浦の内浦へ龍頭ゲキ首の船を浮かべてそれにミコシを乗せ、歌無管絃を奏したという。このときは分神の土佐神社の神幸があってともに船遊びされるならわしであった。安芸の国、嚴島神社だけにこの祭りは今に傅えられるが、鳴無神社のはいつごろか廃れ、いまでは紅白五彩のマン幕が潮風にはためく中を楽人の吹き鳴らす楽の音が静かな海面を流れる盛事はしのぶよすがもない。祭礼は八月二十五日、その前夜参拝者は火を燈した船で海を渡り、すばらしい夜景を呈する。秋祭りは旧暦の八月二十三日だがその日の踊りには老若男女数十人が花ガサにウチワを片手に集り鐘、太鼓や歌とともに踊る。古式ゆかしい踊りとして有名な郷土舞踊だ。
現在の社殿は山内二代藩主忠義が寄進したもの、寛永三年(1663)の建立である。神代杉を用い、本殿は西向で春日造コケラブキ、千木、勝男木のほかカエルマタ、ヒジキ、マスグミ、花木鳥獣の彫刻など美の限りを尽したもの。大工は左甚五郎の一族の子孫といわれる。緑の山を背に極彩色の美しい姿を静かな海面に映した様を讃えて「土佐の宮島」と呼ばれている。
