横倉山@

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高知県内の伝説

元暦二年三月二十四日正午ごろ、源平入乱れて激戦のさ中、わずか八歳の安徳天皇は屋島の神へ沈まれた「東鑑」によると二品禅尼が宝剣をささげ按察局が幼帝を抱いて海中へ身を投じたとある。二人の女官は助かったが天皇はとうとう浮かなかった。この話は源平の政権争いにまだ物心もつかぬ天皇が幼い生命を摘みとられたとあって国史を読む者の胸をうつ悲惨なエピソードである。然し何事にでも話のケリをめでたく終わらせたいのは人情の常、いくら幼帝とて周りには屈強の武者共がいたはず、台風の最中でもなかったろうし、静かな内海でそうムザムザとかけがいのない天皇が死んでたまるか、と入水説をめぐって長い議論も戦わされた。憶測は憶測を呼び「安徳帝は実は助かったのだ。そしてここへ逃げのびた」と、いわれる御潜行地が西日本に数ヵ所も名乗りをあげている。範囲は対馬から九州各地、大阪府下まである。県下には香美郡鉢ヶ森山、高岡郡横倉山、吾川郡池川町椿山など。全部が事実なら交通の発達した今日でも一巡するのはちょっと大変である。これらは宮内庁の御陵参考地に指定されたものだけで、その他も含めると全くおびただしいものになろう。

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