横倉山A

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高知県内の伝説

文治三年の始め(西暦1888年)屋島合戦の二年後、同地に生きのびておられた安徳帝の行在所を千人を超える兵とともに訪れた武将があった。阿波の国山城谷栗山の城主田口成良といった。彼は総帥の平和盛へ進言、幼帝と平家の残党を彼の居城へ連れ帰ることに決めた。天皇は同年三月末から二ヶ月間、栗山城で過された。そこでは成良の軍と三好郡、美馬郡の豪族十一家が警衛に当ったが、やがてもっと安全な土佐への潜行話がもち上り、間もなく香美郡の韮生郷(いまの上韮生)への移動となった。しかし追われる身に安全な場所というものは山奥しかない。天皇一行が落ち着いた場所というのは長岡郡との境標高千三百メートルの松尾山であった。そこには山の王と呼ばれる化け物が先住していたと傅えられる。厄払いの必要に迫られた天皇は金銀をちりばめたカブトのハチを山頂へ埋めたのだった。そして同じ場所へ則山祇命、草野姫の二~をまつり、朝夕礼拝を怠らず、化け物を退散させたという。天皇がなくなられたのはその後間もなかった。現在の鉢ヶ森山並びに同所の大山祇神社の縁起とさせる物語である。その後同所の人々は干天続きのときは鉢ヶ森山へ向って雨ごいをし、あらたかな霊現があったという。

横倉山A

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