高知県の幕末土佐

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高知県
嘉永六年(1853)のペリーの来航をきっかけに、鎖国か開国かをめぐって政界での対立がはげしくなった。こうした時代のうごきのなかで、山内容堂(豊信)の活動がはじまるのである。容堂は嘉永元年、分家の南邸からはいって十五代の藩主となった。安政の大獄で容堂が処罰された時、土佐の国内は動揺したが、とくに血の気の多い青荘年の人たちは、薩長や水戸の志士らと連絡して勤王運動にはしるようになった。そこで江戸にいた大石弥太郎は瑞山に天下の情勢と尊王の大義をといた。瑞山は勤王の同志をあつめ、文久元年(1861)八月に「土佐勤王党」を結成し、その盟主となった。勤王党は、尊王攘夷を実行しようとするもので、坂本龍馬・中岡慎太郎をはじめ加盟の志士は二百余人におよんだ。ここでは、時代の変わり目、幕末の土佐に関わる人物・地域等を紹介していきます。

