醫王山 藥王寺

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四国霊場第二十三番札所(古義眞言宗)

醫王山 藥王寺(いおうざん やくおうじ)

御本尊:厄除薬師如来(弘法大師作)

脇士:日光菩薩 月光菩薩 十二~將

御詠歌:皆人の 病めるとしの 藥王寺 瑠璃の藥を 與へまします

所在地:徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285−1

縁起:當山はもと行基菩薩の開基にして、醫王山、無量壽院、藥王寺と稱し、縣下屈指の巨刹なり。弘仁六年弘法大師御歳四十二歳の時平城天皇平和の御内勅に依り、又大師自他厄除の御誓願を込められ本尊厄除薬師如来を一刀三禮して御彫刻なし給ふた、日本只一躰の尊像なりと謂ふ。本堂の二十八本の柱は曜宿を表し四十二と三十三の石壇は男女の厄年にかたどり給ひ、末世衆生が詣づる足に厄難をはらはしむる所爲なり、即ち大師の奏聞に依つて平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇、御厄除の勅使を下し長く官寺とし厄除根本道場として上下貴賤の尊崇頗る篤し、文治四年の火災に焦土となる。此の時風烈しくして本尊を出し得ず、皆茫然として見るに本尊光を放ち自ら西の山を指して飛び給ふ。玉厨子山即ち之れなり、後鳥羽院、厄除の爲め、勅使を下し伽藍を再建し新たに薬師の像を作らせ給ひ入佛供養す。其の時先に去り給ひし尊像紫の雲に乗じて歸りたまひ厨子の内へ入らせたまひぬ。是れに依つて今は尊像二體ましますなり「後向薬師と云ひ傅ふ」土御門太上天皇當國へ移されたまひ當寺を皇居とし遂に寛嘉三年十月十二日崩御したまふ此の時の下馬札、下乗札等保存しあり。領主細川ョ之、寺領を寄進。天正の末當國の太守蓬庵公御再建し寺領も寄附したまふ。其後寛永十六年に鳥有となりしが承應三年蜂須賀光鐘公建立せられしも日一日と頽廢尊嚴を維持する能はざるに至る。現今の本堂は明治廿七年元大檀主蜂須賀候爵を始め檀信徒及篤信者に依り再築曲折を經て竣成し、同四十三年一月十一日盛大なる復舊記念式を擧行し、一層輪奐の美を添ふ。
有栖川親王家より靈賓を奉納し長く御祈願の令旨を下し給ひぬ。

藥王寺本堂

醫王山 藥王寺

藥王寺大師堂

醫王山 藥王寺

薬王寺山門 

醫王山 藥王寺

薬王寺瑜祇塔

醫王山 藥王寺

醫王山 藥王寺 醫王山 藥王寺

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