摩尼山 國分寺

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四国霊場第二十九番札所(新義眞言宗智山派)

摩尼山 國分寺(まにさん こくぶんじ)金光明四天王護国寺

御本尊:千手観世音菩薩

御詠歌:國を分け 寶をつみて 建つ寺の 末の世までの 利益のこせり

所在地:高知県南国市国分546

縁起:當山は人皇四十五代聖武天皇の御宇に、行基菩薩が天皇の勅を奉じて国家鎮護のために天平九年に建立せられた古い伽藍で、天皇親ら金字の金光明最勝王經を擬寫になりて納められ、天下泰平五穀豊穣萬民豊楽を祇る御祇願所として金光明四天王護國之寺と勅號を賜ふた。後弘法大師四十二歳の厄年に四国八十八ヶ所を開かんと発願なされ、浪華より船出して土佐の大津へ上陸なされたのが恰も節分の當日であった。遥かに瀧の音が聞こえたので其處に到着になり齊戒沐浴して心身を清め、勤念修業遊ばさる。その時生身の毘沙門天王巖上に出現し給ふ。大師其の尊像を彫刻して、其瀧を毘沙門の瀧と名づけ當山の奥之院に指定さる。現今の瀧本の毘沙門堂が夫れである。而して直に當山へ参拝なされ御自身厄年の危難を免れんため、又末世の衆生の災難を除いて開運幸福を得るやうにとの思召より、八祖相承星供の秘法を勸修遊ばされた。廣い日本で大師が四十二歳の厄年の節分に星供を勤修遊ばされた寺は、他にはないので當山を星供の根本道場と言ひ、大師を星供大師と申すのは此の由来に依るのである。往古は畏れ多くも歴代の天皇尊信して厚く保護を垂れ給ひ、降つて戦国武家の世になりては國主長宗我部、山内の二家より寺領を寄納し、伽藍を造営し御作事として永く加護されたのである。星供も皇室御一門と國主一族の祇念を致して居たが、明治維新の後は一般信者の申出に依り、大師の遺法を其儘相承で祇禱して居るのである。當山境内は史跡名勝地に編入され、、當寺は特別保護建造物で其他國賓指定の佛像もあり、創立當時の伽藍、石、梵鐘、石の手水鉢、奈良朝より鎌倉時代に至る古瓦等を所蔵して居る。

國分寺本堂

摩尼山 國分寺

國分寺大師堂

摩尼山 國分寺

國分寺山門 

摩尼山 國分寺

摩尼山 國分寺   摩尼山 國分寺

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