百々山 善楽寺

トップページ高知県の観光四国霊場四国霊場八十八ヶ所>百々山 善楽寺

四国霊場第三十番札所(新義眞言宗智山派)

百々山 善楽寺(どどさん ぜんらくじ)一ノ宮

御本尊:阿彌陀如来

御詠歌:人多く たち集れる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな

所在地:高知県高知市一宮しなね3-23-11

縁起:當山は桓武天皇の御宇、大師巡錫の砌、高賀茂大社の森巖幽邃なるが深く意に適ひ、一宮別當寺として堂宇建立し一国一宮第三十番の霊場を開基す、爾來一宮大社の別當寺として神宮、善楽の二寺並立し、殊に長宗我部、山内兩家の歸依最も深く法燈綿々として香火絶える事なく、毎年十月の法要は一週間國中各寺の僧侶百七十餘人出仕し、倶に極めて荘嚴なる千部經の讀經を修業したり、然るに明治三年廢佛毀釋の際先づ神宮寺を癈して善楽寺に合併し、續いて明治四年善楽寺を廢するに至れり、その時當寺本尊印度渡来の秘佛及び、弘法大師の尊像其他寺賓の總てを二十九番国分寺へ預けたり、其他元當山の仁王像は二十四番東寺に、釣鐘は目下高知公園にあるものなりと云ふ、国分寺に合併と同時に納經も同所にて二ヶ寺分を押捺せり。其後明治九年高知市安楽寺より国分寺に懇請して、前記印度渡来に秘佛を安楽寺に遷し三十番靈場として今日に及べりと、其後明治二十年頃より一の宮村民善楽寺の再興をはかりしも機運熟せず、月日を經過せしが同村出身山本成之氏發起となり、實に三十餘年東奔西走の結果昭和四年十月、昭和二年快翁の建立で埼玉県興野町に在つた東明院を移轉し、同年十一月二十七日善楽寺と改め佛像及寺賓は国分寺より還座、昭和五年二月二十四日落慶式及入佛式を盛大に挙、玆に三十番善楽寺は復興し本善楽寺と稱すなり。

善楽寺本堂

百々山 善楽寺

善楽寺大師堂

百々山 善楽寺 

百々山 善楽寺   百々山 善楽寺

四国の観光へ戻る  高知県の観光へ戻る