磋跎山 金剛福寺

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四国霊場第三十八番札所(新義眞言宗豊山派)

磋跎山 金剛福寺(さださん こんごうふくじ)足摺山

御本尊:千手観世音菩薩(弘法大師作)
脇士 :不動明王 毘沙門天王(弘法大師作) 二十八部衆

御詠歌:磋跎や ここは三崎の 舟の棹 取るも捨つるも 法のさだ山

所在地:高知県土佐清水市足摺岬214-1

縁起:當山は弘法大師四國御巡錫の砌、千手観世音菩薩の御影向を拝し奉り、菩薩刹生の靈地たることを感じ此の由を朝廷に奏聞せられたる所、嵯峨天皇は深く聖信を籠めさせ給ひ、捕陀絡東門の勅額を降し二百四十石の供田を附せられて勅願所とし、山號を月輪山、寺號を金剛福寺と號し、精舎を建立すべき旨弘法大師に命を降さる。大師勅を奉じて弘仁十三年當伽藍を建立し、本尊を千手観世音菩薩となし鎮守には熊野三所権現等を勧請す。又七不思議の奇跡と大師御自筆の御影等を残し置き給ふ。其の後、金峰上人住職の時天魔常に障碍をなす、上人一指をあげて降し秘法を行じたるに磋跎して退きたるにより、山號を磋跎山と改められたり。爾來皇室の御歸依淺からず且源家代々の尊崇する所となり、中にも多田滿仲公は清和天皇の御菩提の為、當山に多宝塔を建立せられ、又源頼光公は其の臣渡邊綱を普請奉行として諸堂を再營せられたりしが、屢囘録に罹り大に衰頽せり。この時南佛上人法門を振興し、伽藍悉く舊に復したりき、是れを中興開山と稱す、享禄年間、京都御室仁和寺より尊海法親王下國ありて住職たりしが、戦国の武士も敢て狼籍するものなく寺領もとの如くなりき。降りて長宗我部氏及び山内家の篤く歸敬せらるる所となり。山内氏土佐を領するや三百四十石の寺領を改めて、百石となし寛文年間藩主山内忠義公寺堂を再興し、香煙絶ゆることなかりしが、明治以後一旦衰へ廢寺同様になりしも明治十三年より諸堂完備し、輸奐巍然たるに至れり。寺賓頗る多し、殊に古文書の豊富なる、他に類を見ざるなり。

金剛福寺本堂

磋跎山 金剛福寺

金剛福寺大師堂

磋跎山 金剛福寺

金剛福寺山門

磋跎山 金剛福寺 

磋跎山 金剛福寺   磋跎山 金剛福寺

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