一か山 佛木寺

トップページ高知県の観光四国霊場四国霊場八十八ヶ所>一か山 佛木寺

四国霊場第四十二番札所(古義眞言宗)

稻荷山 龍光寺(いなりさん りゅうこうじ)

御本尊:大日如来

御詠歌:草も木も 佛になれる 佛木寺 なほ頼もしき 鬼畜人天

所在地:愛媛県宇和島市三間町則1683

縁起:當山は大同二年弘法大師御巡錫の砌この地を通り給ひしに、道にて牛を牽きたる一老翁に會ひ、伴はれて當山迄来たるに、楠の老木の上に一かの賓玉が懸つてゐるのを見、これぞ佛法弘布の靈地なりと感じ、即ち其の楠を以て大日如来の尊像を刻み、その眉間に寶玉を収め一寺を建立す、故に一か山、佛木寺と號す、一般に御大日さまと稱せられ疱瘡除け、牛馬安全の守り佛として信仰篤し、其後鎌倉時代に六代将軍宗尊親王の護持僧、松殿僧正當山に参詣せられし當時は大變廢頽の狀なり、嘉禎二年に西園寺太政大臣家が宇和を領せらるるに至り其の歸依を受け祈祷所並に菩提所となり仁治年間に堂舎の建立、寛元年間には境内の四至を定められ現在の則部落全體が境内地となりたり。文永八年鎮守熊野権現堂造營、建治二年弘法大師御影堂造立、正和四年法橋行繼、大師像を彫刻、永禄、元龜の頃戦乱の為め大に衰微して當山の文書什器等散逸せしを來村殿、西園寺宣久、力を盡し散逸せる物品を探求して納めらる。慶安元年正月宇和島藩主伊達秀宗公本堂を造営す、奉行内藤三右門明暦四年梵鐘を鋳造す、寛文十二年聖徳太子像を建立、延寶五年吉田藩主伊達宗純公大日堂拝殿建立、元禄十二年宇和島藩主伊達宗贇公の男兵五郎御祈祷の為鐘樓修造、正徳三年御令旨紛失し御室仁和寺宮より改めて御直末たるの證を賜ふ。寺賓には草宇心經、華嚴經一巻は大師の眞筆と傅へらる。

佛木寺本堂

一か山 佛木寺

佛木寺大師堂

一か山 佛木寺 

佛木寺大師堂

一か山 佛木寺

一か山 佛木寺   一か山 佛木寺

四国の観光へ戻る  高知県の観光へ戻る