菅生山 大寶寺

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四国霊場第四十四番札所(新義眞言宗豊山派)

菅生山 大寶寺(すがうさん たいほうじ)大覺院

御本尊:十一面観世音菩薩(百濟より渡来の秘佛)

御詠歌:今の世は 大悲の恵 菅生山 ついには彌陀の 誓をぞまつ

所在地:愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2-1173-2

縁起:當山は百濟國權化の聖僧ありて、十一面観世音の尊像を奉持し日本に渡来して、當山の靈地に草庵を結び安置す。其の後百十餘年を經て文武天皇大賓元丑年弘法大師四國御巡錫の砌り、四國第四十四番の靈場となし、大賓寺とは其の年號に因りて名づく、菅生山とは昔、明神右京明神準人と謂ふ兄弟の猟士あり、或る時兩人山中に猟して陟が嶽に至り夜に入りたるに、東方の山中に不思議の光輝あるを感見し翌日其の山中を隈なく尋ねたるに、果して十一面観世音菩薩の靈像、威光赫灼として、御在しけるを見奉り、愴惶禮拜し前夜不思議の光輝ありしは全く此の靈像の光明なりと、信心肝に銘じ急ぎ所持の弓矢を結び合せ、着する所の簔を以て佛像を覆ひ後庵室を結びて安置し、兩人共深く佛縁を感じ、既往に爲せる殺生の悪業なるを懺悔し、無比の道心堅固者となり常に供養怠り無かりしと。保元年間後白河天皇御悩みの御爲、諸山に勅して祈願あり御平癒遊ばされし御叡感に依り、堂舎僧房等の再建ありて天皇の御妹姫宮を當山に住まはせ給ひたることあり、是の故に勅使橋の舊蹟今尚残存せり、姫宮御他界の後寺中に葬り御墓を陵権現と唱ふ、國主松平顯徳公より手書を賜り永世寺禄百五十俵を寄せらる爾來當山の規模大いに擴張す、即ち國内安全、君臣共に武運長久の為、國主の祈願所として寛保元年より明治維新に至る百二十餘年、乃ち當寺世代第四世齊秀法印より第十二世弘阿法印に至るまで、連綿として國主の供養奉納絶えず、偶、明治七年不慮の火災に一山の堂宇坊舎悉く焼失し一時假りに理覺坊に移住せるも其間代々の住職再建に苦心せしが果さず、第十七世隆秀法印の時明治四十五年元境内に復舊し、大師堂、假本堂、庫裡、賓庫、通夜堂の建築成り、次で十八世現住職、今村完道僧正、大正十一年七月多年懸案たる本堂新築の工事を起こし、同十四年五月竣成し即ち盛大なる落慶法要を營み、本尊靈像を奉安し、同時に鐘樓堂並に大梵鐘を新に鋳造し、伽藍の大観を改め輪奐の美を添へたり。滿山の檜林は欝蒼として塵煙に遠ざかり、境内の老杉は晝尚暗く山静かに境、幽なり、海抜一千尺久萬鄕の山野を俯瞰し四時共に賽客多く本尊薩埵の靈光は日々に新たなり。

大宝寺本堂

菅生山 大寶寺

大宝寺大師堂

菅生山 大寶寺

大宝寺山門

菅生山 大寶寺

菅生山 大寶寺   菅生山 大寶寺

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