白牛山 國分寺
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四国霊場第八十番札所
白牛山 國分寺(はくぎゅうさん こくぶんじ)千手院
御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩(國寶) 行基菩薩作 弘法大師補修
脇士:地蔵菩薩 薬師如来 愛染明王
毘沙門天王(五體) 阿弥陀如来(二體) 弘法大師(二體)
御詠歌:國を分け 野山を凌ぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ
所在地:香川県高松市国分寺町国分2065
縁起:當山は天平九年、聖武天皇御勅願に依り全国に護國治民の爲め一ヶ国一ヶ寺宛御建立せられし時、白牛山、千手院、国分寺と称して創建せらる。行基菩薩の開基せられたもので本尊は十一面千手千眼観世音菩薩にして一丈六尺、四国霊場とも言う可き木像で御開基に際し行基菩薩彫刻し給ふものなり。其後弘仁年間弘法大師御巡錫の砌り境内にあった木材を以て補修し奉らんとして、三、七日の祈念の後本尊の補修を了せらる。其の時に御感得遊ばされたと云う霊木、今これを御衣木と傅承されて居る。御本尊は明治に入り国賓に指定され、本堂は特別保護建造物として指定されて居る。現在の本堂は開創當時講堂であったと傅へらる。梵鐘、此の鐘は昔鎭四八郎がドウドの淵とやらで大蛇を射った時、大蛇が頭に冠つてゐたものと云ひ、又一説には龍宮城から渡って来た物とも云ふ。或時國主生駒一正公此の梵鐘は時を打つからと言うて、三百人もの家来をつれて鐘を取りに来た。大変重い鐘で三百人でもなかなか動かなかったが漸くお城に運んだ。一正公は喜んで早速夕方鐘を撞いた所(寺へかへりたい寺にいなう)と鳴ったと云ふ。尚それから一正公始め家来一同皆疫病に罹つて苦しんだ。一正公は自分の行爲を改心し田地一町を添へ鐘を寺に戻した所が歸りは十人程で楽に運べたと云ふ傅説がある。一正公が病気平癒の祈願を寺に依頼した依頼状が今に残って居ると云ふ。何れにせよ国分寺が日本佛教の賓物として永久に栄える事を祈ると共に、童銅龍純師の編者に對する御理解を多謝す。
国分寺本堂
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国分寺大師堂
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国分寺山門
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