綾松山 白峯寺
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四国霊場第八十一番札所(古義真言宗)
綾松山 白峯寺(りょうしょうざん しらみねじ)千手院 洞林院
御本尊:千手観世音菩薩
脇士:愛染明王 馬頭観世音菩薩
御詠歌:霜さむく 露白妙の 寺乃内 御名を唱ふる 法の聲ごゑ
所在地:香川県坂出市青海町2635
縁起:當山は弘法、智證兩大師の開基なり。弘法大師は先に此山に登り峯に寶珠を埋め阿伽井を掘りたまふ。此の寶珠の地、瀧壺と成り三方へ落水し増減することなし。智證大師は或時此峯より瑞光赫々として海を照らせるを御覧になり希有の思ひをなし給ふ。貞觀二年十月一日國司も同じ現象を見て恐れをなし、智證大師を十峯山(今の白峯山)に招じて検べるに、白髪の老翁現はれて「我は當山を擁護する霊神、法輪弘通の聖者相模坊と云ふ鎮守なり、此の所は七佛法輪を轉じ彌勒慈尊入定の地だ」と告げ給ひて山中に導き十體の尊像を合作し其の中一躰千手観世音菩薩を本尊として、安置し、綾松山、洞林院、白峯寺と稱せらる。其の後、保元々年人皇第七十五代崇徳上皇讃岐に遷され給ふた。(これ保元の乱なり)上皇は始め白峯の麓松山の黒木御所、後には、城山の東麓皷ヶ岡等に九年の間憂悶忿懣の御生活を遊ばされた。後世安隠の爲にせめて經巻なりと都の寺に納めんと一字三禮三年かかって親寫遊ばされた五部の大乗經すら都へ入るを許されなかった。この上は落ちて魔界に入り、天狗となって現世の恨みを霽らさんと上皇はその大乗經の奥に御誓狀を認めて海へ沈め給ふた。其の後は御爪をも切らず、御髪をも剃らせ給はず、遂に世を呪ひ人を怨んで悩亂あらせられ、長寛二年八月二十六日壽四十六歳にして崩御あらせられた。当山の西北の西巖に茶毘し奉る。(白峯陵即之なり)其の時より代々聖主、綸旨院宣を賜り荘園等を寄させ給ふ。後土御門上皇御異例の砌り御待僧堪空を當山に派し祈願をこらし給ふ等由緒深く今日まで法燈連綿と續く。
白峯寺本堂
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白峯寺大師堂
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白峯寺山門
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