ジョン万次郎漂流出航浦

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土佐市宇佐町

宇佐の漁師で船頭の筆之丞、弟の重助と五右衛門、隣家の寅右衛門、幡多郡中ノ浜(土佐清水市)から働きに来ていた万次郎ら5人は天保12(1841)年1月5日、この浦の西浜から延縄漁に出た。翌々日足摺沖で操業中突然強風が吹きだし嵐となり、帆は破れ櫓は折れて舟は海上をさまよい、数日後無人島(鳥島)に漂着した。海岸の岩穴で寝起きし、鳥を捕らえ、海藻を食い、岩間の水で喉を潤しながら余命をつなぐうち、同年5月餓死寸前のところをアメリカの捕鯨船に助けられハワイのオワフ島で手厚い保護を受けて暮らした。その後筆之丞は伝蔵と名を改め、重助は長い療養の末病死する。一方、少年万次郎はホイット・フィールド船長に可愛がられ捕鯨船に乗り組み各国を回り、また、アメリカ本土で新しい知識を習得し、カリフォルニアの金山へ行き帰国の資金を稼いでオワフに戻ってきた。寅右衛門は現地に残ったが、伝蔵・五右衛門・万次郎の3人は嘉永4年(1851)1月便船で琉球に上陸し、薩摩藩や長崎奉行所で取り調べを受け、翌年の7月漸く12年ぶりに土佐へ帰り着いた。伝蔵兄弟は漁や他国往来を禁じられ、藩から扶持を受けて神妙に暮したが、万次郎は一躍幕府の役人に取り立てられ、その新知識は日本の開国に向けて大きく貢献した。数奇な運命に翻弄された伝蔵たちであったが、この浦から船出した漂流者によって、近代日本の夜明けをもたらした。(看板引用)

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