梅花の井戸(まいごの井戸)

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室戸市

土佐日記を著わした、紀貫之朝臣は土佐国司の任務を終え、承平4年(934)12月27日、土佐国府(現南国市)を立ち、帰郷(京の都)の途についた。暴風雨を避ける為に、翌1月12日より風待ち日が10日間に及んだことが「土佐日記」(むろつの泊まり)の項に伺える。日記中には、貫之朝臣、舟泊の地は沼沢地にして、浄水これなかりしため、この井戸辺に至り、「あかつきにいささか雨ふる。しばしありてやみぬ。男女かれこれゆあみせんとて、あたりのよろしき所におりてゆく・・・」とある。
当時この井戸は、付近住民唯一の飲料水として利用されていた。また、この井戸には老梅が生茂っており。これを紀貫之朝臣は「梅花の井戸」と命名した、と今に伝えられている。「まいご」は梅花が転化したものと思われる。

(看板引用)

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