豊島沖に於ける海戦

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日清戦役

高陞號事件

英船の處置を命ぜられた浪速は同船を検するに、英国怡和洋行(ヂヤーデイン・マデイソン・コンパニー)の所有船高陞號で清国政府に雇用せられ、清兵兵器を搭載していた。東郷艦長は同船に對し浪速に続行すべしと命じたところ、同船長は用談があるとて端艇の派遣を請ふた。そこで士官を派遣すると、艦長は清将は出発当時開戦を知らず、命令に服従することは出来ないとのことであった。艦長はこの報告に基いて同號の撃沈を覚悟し、船員に船を見捨てよと信號したが、彼は尚も端艇の派遣を請ふた。然れども時巳に危機迫り、清兵の意測り難いので、送り難しと報ずると、彼は許されぬと応答した。是に於いて再び見捨てよと信號し、危険表示のB旗を掲げて、同船を撃沈した。そこで我は端艇を下して溺者を救助し、英艦長外英人二名を救った。この報が一度び内地に傅はると、朝野は愕然として驚き、英国の興論も亦囂々として遂に対日抗議となったが、当時当時英国一流の公法学者ホルランド博士は、浪速艦長の措置を正当視したので、英国の興論も静まり、却つて東郷艦長の名は世界に轟くに至った。

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