威海衛の夜襲

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日清戦役

暗黒中進入して定遠を轟沈す

時は昭和二十八年二月五日の午前三時、月の没するを待ちたる我軍の鳥海、愛宕の二艦は、先づ進みて劉公島と日島との間に出てて盛んなる砲撃を開始して敵を牽制する間に、我第二、第三の二艇隊は堅固なる防材の一角を破壊し暗黒裡に進入して敵艦に逼り、水雷を発射して、敵の旗艦たる定遠を轟沈した。スワ我が艇隊の近づきしと悟りし敵は矢庭に銃砲を乱射し、文字通り雨霧と飛ぶ弾丸の中を我艇隊は辛ふじて退き、翌六日の午前三時過ぎ、更に第一艇隊中の第二十三、第十一及び小鷹は各自死を決して防材を越へて港内に進入し、終に來遠、威遠、及び運送船賓華を轟沈した。此時我陸軍は陸上の砲臺より砲撃して敵艦靖遠を撃沈した。而して鎭遠は前に座礁して行動の自由を失ったから、敵艦隊の戦闘力は大いに減殺されたのであつた。斯くて二月七日、我が艦隊は陸上の占有砲臺と力を合せて海陸一斉に劉公島、及日島の兩砲臺を猛攻した。この日敵の水雷艇十隻は港の北方より遁れ出て芝罘方面に遁走したので、逃がすものかと我が第一遊撃軍は之を追撃して悉く之を沈没せしめた。而して辛ふじて沈没を免れしものは浅所に乗上ぐるに至った。日島砲臺は我が砲撃に沈黙したが、劉公島砲臺は尚引続き我に応戦したるも、十一日我が占領せる砲臺より発射せる猛烈なる砲弾の為め、堅牢無比を誇りたる同島東岸砲臺は終に破壊されたので、敵軍も今は力屈し、翌十二日の朝水師提督丁汝昌は白旗を建てたる一隻の砲艦を以て丁壁光を軍使として我が旗艦松島に送り來りて降伏を請ふた。

威海衛の夜襲

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