仁川沖の海戦

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日露戦役

ワリヤーグ艦長に挑戦状を送る

午後五時頃我が支隊は仁川錨地に着し、陸軍運送船は港内に進入して、支隊掩護の下に急速揚陸作業を開始し、支隊は一部を運送船の傍に留め、大部を以つて仁川港外八尾島附近に假泊、終夜敵艦を監視警戒した。當時仁川には露艦二隻の外、英・米・佛・伊の軍艦各一隻及び露國汽船ズンガリー等が在泊してゐた。瓜生司令官は二月八日夜半在仁川帝国領事を介して挑戦状を在泊露国先任艦長、即ちワリヤーグ艦長へ送ったが、その要旨は、同艦長はワリヤーグ及コレーツを率ゐて九日正午迄に仁川を退却すべく、肯んぜざれば港内に於いて砲撃すべしと謂ふにあつた。之と同時に在港各國先任艦長に對しても、露艦長に送った公文の趣旨を明かにして、適宣錨地を変更することを要請した。之に對して列國艦長中に抗議を唱へるものもあったが、九日正午すぎ露艦は出動したので、この問題は自然解消した。

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