蔚山沖海戦敵兵救助

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日露戦役

巨砲敵艦に命中す

日露開戦以来、狂暴なる露國の浦監艦隊は、我武装せざる商船に向って、無法にも沈没したること、數十回に及んだので、我が上村艦隊は、彼が暴戻の行動を容認すべからずとして、之を追撃したるも、遺憾その目的を達しなかったので、同艦隊の将士は切歯扼腕しつつあったが、時は明治三十七年八月十四日の午前五時、「露艦三隻來れり」と竹敷要港よりの報に接した。これは敵の浦監艦隊が南下の目的にて旅順艦隊に合せんとするものであることは言うまでも無い。玆に於いて我が第二艦隊司令長官上村中将は、伊知地知大佐の艦長たる出雲に坐乗し、吾妻、常盤、磐手の三艦を率ゐて、磐手に坐乗せる司令官三須少将と共に蔚山沖に航じて敵艦を捜索し、南航する露艦を一萬米の所に認むるや、直ちに我が各艦の檣上高く戦闘旗を掲揚した。斬くと見たる敵艦は大に驚き、船首を北方に轉じて退却し始めた。此時先頭の旗艦ロシヤは盛に煙を上げて北進し、クロムボイ之れに次ぎ、リユーリツクは後れつつあつたが、我艦は争でか之れを逃すべき、得たりと敵の退路を壓迫し、午前五時二十分、彼我の距離は、約八千米突となるや、我より一發を放った。敵も之れに應じて発砲し、是れより砲戦は漸次急激となり、我より發したる巨砲は、見事敵艦に命中して敵の各艦は火災を起こし、就中リユーリツクは最も多く砲弾を受けた。他の二艦は屢々これを掩護し、遠ざかれば轉回して之に近づき、近づけば又前進した。依て我艦隊は丁字形を造つて猛烈に敵艦を砲撃した。敵艦は再び針路を轉じて引返へさんとしたるも、速力劣れるリユーリツク、遂に後方にあつて、我との距離僅かに四五千米に接近し、我四艦はリユーリツクを目蒐けて益々砲撃を加へ砲煙天に沖し、敵の艦隊は全く黒煙に包まれた。

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