日本海々戦敵前大回頭

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日露戦役

軍艦三笠時鐘の由来

明治三十八年五月二十七日に於ける日本海大海戦を敍するに當りて、軍艦三笠に関する逸すべからざる興味深き一挿話を紹介することとする。
軍艦三笠は英国バロウ市のウイツカース会社の建造に係り、明治三十五年三月竣成して同年五月本邦に回航する戦艦にして、日露戦役の時代を通し、帝国海軍に於ける最大堅艦として東郷大将の旗艦たり、本時鐘は同艦備付の品に係り、始終同艦の時報器として艦員の作動を律し、寝食の時機を報じたる品なりとす、日本海大海戦の當日たる明治三十八年五月二十七日拂暁木時鐘(午前五時)を合図に、三笠の檣頭高く掲げられたる三連結の信號旗は、全艦隊に傅へられたる「敵艦見ゆ直ちに出動せよ」の令ありき。古今未曾有の大海戦の発動第一歩は實に本時鐘の鳴響を合図に其の端開かれたるものなり。大正十二年軍艦三笠華府会議の条約に基き帝国艦籍より除かるるに至り本時鐘も亦海軍に於ける責任を果たして東京府立第六中学校に寄贈せらる。其後大正十三年二月二日海軍省副官藤田尚徳氏より東京府立第六中学校長阿部宗孝氏に照會に對し「一本件に關し舊臘御照會の次第有之候所由来の事實は確保難致筋も有之候へ共大略別記の通りと御承知相成度、右回答す」。因に別記とは即ち三笠時鐘の由来文である。

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