我が海軍の地中海遠征

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(世界大戦)

主なる戦闘並に救護

かくて我が特務艦隊は、出征以来マルタを根拠地として、殆んど地中海の前面に亘り、主として軍隊輸送船の護送任務に従事し、聯合興國の作戦に寄興すること甚大であつた。この間に於ける戦闘、救護の主なるものは次の如くである。大正六年五月四日、松・榊の兩駆逐艦は三千の陸兵を搭載せる英輸送船トランシャルバニヤを護送中、同船が敵潜水艦の爲めに撃沈された時、危険を冒してその人員を救助した。この兩艦の勇敢敏速な行動は、周く列國の賞賛と感謝を博したのであつた。又同年六月十一日右兩駆逐艦が護送任務を了へてミユドロスからマルタ島へ向け歸航中、敵潜水艦と交戦し、榊は左舷艦首下に雷撃を受けて、第一罐室より前部に亘り大破損を蒙り、艦長上原太一中佐以下五十九名戦死し、庄司彌一大尉以下十六名の重軽傷を出した。

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