皇太子殿下の御渡歐

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(大正十年)

御日程②

五月一日御上陸、海軍工廠、英海軍提督官邸午餐会、貯水港、舊砲臺等に御成り、ニ日西班牙皇室及政府代表者アルジユシラス知事来訪、代表軍隊分列式、民政長官主催午餐会、總督園遊会御臨場、夜總督以下英国官憲及米国艦隊司令長官御招宴、三日ポーツマスへ向け御出港、七日正午英国スピツトヘツド御安着、八日大西洋艦隊司令長官マツデン提督の午餐会に台臨、九日ポーツマス軍港御上陸、英皇太子、アーサー・オブ・コンノート兩殿下を始め英国官民の歓迎を受けさせられ、直ちに特別列車にて倫敦に御着、ヴイクトリア停車場にて英帝ジヨージ五世陛下と御握手、馬車に御同乗バツキンガム宮殿に入らる。宮殿晩餐会御臨席、十日ウヰンゾル宮殿御訪問、バス勲章御受領、ヴヰクトリア女王、及びエドワード七世兩陛下御陵参拝、外相カーゾン伯主催晩餐会、十一日倫敦市御訪問、市長の歓迎会、午餐会、聖ジエームス宮殿の英国皇太子主催公式晩餐会御出席(以上三日間英国帝室の賓客)十二日此の日より英国政府の賓客となられ、メイフエーヤーのチエスターフヰールドハウスに移らる、上院下院御見学、首相ロイド・ジヨージ氏主催ランカスターハウス晩餐会は炭鉱争議の爲め思召により中止、十三日英蘭銀行、倫敦塔、日本大使館に於ける東宮殿下御主催公式晩餐会、十四日牛津大学行啓、夜ダリマ劇場に台臨、花形女優ジヨース・コリンズ嬢に花籠下賜、十五日クランフオード少年義勇兵御閲兵、十六日陸軍航空隊本部、グリニツチ天文臺、海軍兵学校等行啓、十七日オルダーシヨツト兵営、サンドハース陸軍大学校行啓、十八日劍橋大学行啓、同大学より名誉博士の学位御受領、エヂンバラへ御出発、十九日エヂンバラ御到着、ホーリルード宮にて英国皇帝の賓客とならせらる、カゼドラル、エヂンバラ堂御巡覽、同市長主催公式晩餐会御臨席、二十日ロジース晩餐会、エヂンバラ大学にて名誉法学博士の学位御受領、ニ十一日少年義勇兵御閲兵、エヂンバラよりハイランドに向はれパースシナーのプレーア・アソール公の賓客となられ釣魚の御遊、ニ十二日近郊御巡覽、ニ十三日釣魚御遊、ニ十四日エヂンバラよりマンチエスターに向はれ、ニ日間市長の賓客とならせらる。ニ十五日ヴイカース電機工場行啓、職工食堂にて一志の晝食を召さる。マンチエスター市長午餐会、グロスレーモーター会社台覽、ニ十六日倫敦御歸還、日本協会主催晩餐会主賓として御臨席、ニ十七日イートン学院歓迎會御臨席、バツキンガム宮殿、アレキサンドル皇太后陛下御訪問、日本居留民主催園遊会台臨、ニ十八日チエルシー遊園地、オリンピヤ行啓、倫敦市に一萬磅御下賜、ニ十九日、タイムス紙に告別の御挨拶御寄書、ヴヰクトリア停車場にて英国皇帝陛下、同皇太子殿下と御訣別、ポーツマスにて香取に御乗艦、三十日香取、鹿島ボーツマス出発、英国御退去、佛國アーブル御着、三十一日アーブル御上陸、巴里御入京、佛國内相、海相、大統領代理、首相代理の御出迎へを受けらる、御旅館は日本大使館大使邸、石井大使主催晩餐会御臨席。

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