蘇州空中戦

トップページ高知県の観光戦争と日本日本海軍史蘇州空中戦

(上海事変)

上海の概貌と我が海軍活動

上海は一千八百四十二年英支通商條約によつて初めて國際都市として出現した東洋屈指の貿易港で、三十數ヶ國に亘る世界人種の集合場であつて、近代支那文化の中心地である。其の上海を含む長江筋一帯は中部支那に於ける我が權益地盤で、邦人の居留するもの上海だけでも三萬を數へられて居り、日露戦争以来我が海軍は此の權益を擁護する爲め、乃至租界の安全を保つため、遺外艦隊を派し、多年その軍艦旗を揚子江上に飜へして來たのである。然るに長江筋一帯に亘る歴年の排日運動は隅々満州事變の勃發に刺激せられて益々活潑となり随て其質亦頗る悪化し來つたので、遺外艦隊各艦の砲塔は異常に緊張し、内地よりは艦船部隊が逐次增派され、一度事變の發生するや我が海軍陸戦隊の活動となり、遂にニ月ニ日第一遺外艦隊に旗艦出雲を加へ、海軍中将野村吉三郎を司令長官とする第三艦隊の編成となつたのである。斯くて事變中總計五十餘隻の我が艨艟は潮流強く、水路複雑して航海最も困難なる揚子江黄浦江方面に於ける不眠不休の活動も爲し、能く其の任務を果し、帝国海軍の眞價を發揮するところがあつたのである。

蘇州空中戦

四国の観光へ戻る  高知県の観光へ戻る 
戦争と日本へ戻る 日本海軍史へ戻る