列車砲

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列車砲とは鐵道車輛上に火砲を裝載して軌道上を運行し、随時随所に位置を変更しながら射擊し得る火砲であって、機械化せる近代戦においては缺くべからざる兵器である。抑列車砲は何時頃から現はれたかといふに、古くは米國南北戰爭の際、旣にその戰鬪のー部に試驗的に使闬せられたのであったが、戰爭に實用せられ、眞に發達を遂げたのは、何といっても世界大戰中なのである。いはば大戦前のものは使用して見たに過ぎないが、大戰中のものは眞に必要に迫られてできたものである。卽ち歐洲大戰は一地點に對抗せる戦闘が長期に.亙つたので、戦線の陣 地は塹壕から掩蔽濠に、更に堅固に構築せられたるぺトン陣地となり、全く要塞戰と化したので、前線に疾驅する中小は口徑の野戰火砲のみでは.到底間に合はなくなつた。それ故交戰各國は、互に偉大なる破壊力を逞くすることのできる、大口徑火砲を用ひなければならぬ破目に立到つたのであるが、かかる目的に添ふやうな大口徑火砲を戰線に運搬することは容易では無い。今裝輪砲架として道路上をそのまま運搬できるものは、橋梁その他の關係上加農では.十五.センチ.級.が限度とされて居る。即ち一車の重量が十瓲位に限定せられるため、それ以上のロ徑の火砲では分解搬送を餘儀無くせられるのであるが、更に二十センチ加農以上になると、砲身一箇の重量が既に十瓲以上に達するので、特殊の運搬用車輌を用ふるにあらざれば、道路上の運搬は益々困難になり、勢ひ長途運搬のためには、鉄道の力を借らねばならなくなる。

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