伊都多神社

南国市

幕末には商人たちが経済力を生かして力を持ちつつある反面、郷浦(農村と漁村)の庄屋たちは頻繁に転勤を命じられ、困窮していた。天保八年(1837)、伊都多神社の祭礼の際、本来末席に座るべき町の庄屋が、郷浦の庄屋の上に座ろうとしたことを発端に、郷浦の庄屋たちが古式復帰を求めて庄屋同盟を結んだ。同盟文には尊王思想が盛り込まれ、次の世代の庄屋層の多くが、同じ尊王思想を持つ土佐勤王党へ入って活躍した。

伊都多神社

高知県の幕末土佐県中央部編