萬次郎と仲間達の群像
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土佐清水市
天保12年1月5日(1841年1月27日)早朝 宇佐浦(現 土佐市宇佐町)を船出した5人の漁師
船頭:筆之丞(38歳・後にハワイで伝蔵と改名)
漁労係:重助(25歳・5年後ハワイで病死)
櫓係:五右衛門(16歳・以上3人は兄弟で筆之丞萬次郎とともに日本に帰還
同 :寅右衛門(26歳・ハワイに移住)
炊係:萬次郎(14歳・中浜出身でただ一人アメリカ本土に渡る
船は足摺岬の南東15キロ程の沖合で操業中に突然強風が吹き荒れ「辰巳の方に押し流され其疾きこと箭の如し」とありなんら成す術もなく漂流5日目にして 南海の孤島(鳥島)に漂着する。九死に一生を得て島に上陸した5人は143日間の無人島での厳しい生活に耐え抜き5月9日(1841年6月27日)米国捕鯨船ジョン ハウランド号(船長ホイットフィールド)に発見され 無事に救助される この出合いから少年萬次郎(ジョン・マン)の波乱万丈のドラマが始まるのである そして後に日本親善の橋渡しと文化の発展に大きく貢献した萬次郎と仲間達の漂流時の群像である。
(碑文より)
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