中浜大覚寺史跡案内

高知県の観光高知県の歴史人物>中浜大覚寺史跡案内

土佐清水市中浜

ジョン万次郎の仮墓
共同墓地の中程、中浜家の墓地に、小さい自然石を置いただけの粗末な墓がある。これは万次郎が漂流した後、生死の判らぬわが子の為に母親汐が立てた仮墓であるという。

池道之助の墓
万次郎の仮墓から、西へ10m程の所にある。道之助は練達の武術に加えて、優れた学才をもち万次郎に随行して長崎、上海へ赴いた時の日記や、見聞した異国の風俗、事物を彩色画にした「文物見聞録」など貴重な記録を残した。また、後世のために地震・津波などの恐ろしさや様子を伝える「今昔大変記」を著し、中浜峠には津波の碑を立てて人々の注意を喚起した。晩年、彼は越、養老、加久見などの村長もつとめた。

椿姫の墓
共同墓地の入口に高さ1.5mの大きな墓がある。南路志には「一条殿御息女の墓と言い伝えられ、位牌に文明十六年辰(1484年)極月廿一日妙椿大姉とある。」と書かれており、通称椿姫の墓とよばれている。しかし、この墓には「右意趣者為清譽妙吟信女菩提也、承応三年(1654)二月十四日」と異なる戒名が刻まれており、碑面左下の刻銘からも、これが椿姫の墓とは言い難いが、伝説として残されている。

(看板引用)

中浜大覚寺史跡案内

万次郎仮墓

高知県の歴史人物