人魚と八百比丘尼の塔の伝説

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須崎市

加茂神社の南東に当たるところに大坊と言う所がある。此の地は大昔に漁人軒を並べた大繁栄の土地と呼ばれています。ある日漁師の網に頭は人間体は魚の形をした奇妙なものがかかり、人々は大変驚き恐れて、近寄り見る人もなかりしが、日が立ち月が過ぎても腐らず年より子供たちも見るようになり此の話が広く世間に伝わり遠近一帯から見物人は後を絶たなかったと言はれています。ある日漁師さんが幼い女の子を連れて行き見ていると、その幼女が這い寄ってその奇妙なものに這い上がり網を引き揚げる時に傷ついた所を舐め、それを見た母親は大いに驚き急ぎ慌てその子の体を洗い口を漱ぎ大騒動しましたがその子は何事もなく年頃を迎え漁師の家に嫁ぎ子孫益々繁盛して、年すでに八・九十歳を過ぎても若々しく百歳・二百歳に至りても美貌は変わらなかったがこの頃は既に子孫も次第に遠縁の者となり知る人もなく彼の媼は髪を剃り諸国を巡り回って若狭国に留まり爰でも数百年を経過して享年既に八百歳となり、故国土佐へ帰りし時代が産土の宮(当時鴨大明神)に国土産にせんと石の塔を加茂大明神へ寄進なされたと伝えられます。これが八百比丘尼の塔なり。因に此の人魚を串刺しにして食べた処が現在の串の浦の地名として残って居ります。注、八百歳の尼さんが寄進されたものであるので八百比丘尼の塔と言はれるのではないでしょうか。津野公之家臣久松三助清秋所録陋巷淺説より(1720年享保5年頃の著書)

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