維新勤皇志士

野老山吾吉郎顕彰碑

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高知県安芸郡芸西村和食

君は名を輝郎 通稱を吾吉郎と云う 山野辺寿満平の二男として生れ 文久三年新規に召出され 旧姓野老山を称える 土佐京都 藩邸に勤役中 元治元年勤王の志を以て脱藩 同年六月五日京都池田屋に同志会合中 近藤勇の指揮する新撰組に急襲せらる 吾吉郎は同志藤崎八郎と共に 板倉筑前介を訪れようとし 三條小橋に至る時 新撰組に囲まれ奮戦して重傷を負い 長州藩邸に逃れしが創癒えず 六月二十七日割腹して果てた 時に年十九歳 京都霊山墓地に長州藩士の礼を以て葬られる 維新未だ成らざるに 若くして倒れし吾吉郎を悼み 野老山氏一族は君を顕彰して 永く後世に伝えるものである

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沈下橋

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