若宮八幡宮鳥居のいわれ

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高知市長浜

長宗我部元親公は、当社を出陣祈願の社と定む。天成14年秋豊臣秀吉軍の先峰隊として、九州征伐に赴く際、社頭に武軍長久を祈りいざ出陣と言う折も折り、軍旗が鳥居の笠木にかかり墜落す。衆人これを不吉となし、出陣を見合す形勢となるも、公は殊更に「敵を笠にかけて討つの吉祥前兆である」と祝し出陣す。果たせるかな豊後戸次川にて島津軍と戦うも惨敗し嫡子信親公以下、七百余人の将兵は異郷に討ち死にす。帰郷後、元親公はこの鳥居は不祥の鳥居とし海上遥かに流しやる。爾来二百八十余年間、鳥居なき社として有名なるも、慶応元年、地震の際、鳥居の根石の自然に浮き出し事から衆人これを神意となし、再建す。時に明治三年三月のことなり。更にその後昭和十一年一月に建て替え、昭和五十五年十月には従来の木の鳥居から鉄筋コンクリートに変わり今に至る。(看板引用)

若宮八幡宮鳥居

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