無線操縦の原理④

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無線操縦兵器

電磁波を送って無人の飛行機、タンク。自動車、軍艦、水雷等を意のままに遠隔せる所より操作せんとするものが所謂無線操縦である。若し吾人の空想を恣にせしむるならば無線操縦用巨砲を製作し、操縦用発振器を飛行機上に托し、射撃指揮官は敵線上を瞰下しつつ、直ちに後方數十粁の放列を左右し得られる事となる。又試に一臺の小型飛行機が爆薬を満載せる十數臺の大型飛行機を無線操縦し、之を空電と化して、敵の政治若しくは工業中心地に落下せしむるの光景を想像したならば、其結果は如何、想像するだに戦慄を覚ゆるのである。かくの如きは単に一片の空想に終らず、着々實現の可能性を強くして来てゐるのである。抑々無線操縦史は「コヒーラー」と共に始まり、1900年頃佛人「ブランリー」は其實驗に着手し、1905年に若干距離を間して電路の開閉と23種の運動を與ふる事に成功した。其後無線電信も發進して眞空球の發明となり、此頃から無線操縦も漸く實驗室から十字街頭に躍出したのである。扨て眞空球による無線電信の發達期が、恰も世界大戦と一致した結果、佛軍は異常なる緊張の下に無線操縦を研究し、1919年頃には十分實用に堪へ得るものを完成したといはれ、また独逸では大戦末期「ワルネミユンデ」の「ハインケル」飛行機工場で、數臺の無線操縦用飛行機を製造したといつている。我國でも日露戦争直前佛の「ガベー」の水雷操縦に刺激せられて初めて研究に着手し、昭和四年には駆逐艦灘風から卯月を操縦して好成績を収め、同五年には日比谷のラヂオ展覧会に無線操縦のタンクを出品して好評を博した。

無線操縦の原理④

又空電に對しても同様である。舌片Cの振動が充分大なる時は、突荀G1を叩き齒輪D1を廻す。するとD2の突荀G2は矢の方向に廻轉してMと接觸し電路を閉ぢる。電路ができると、Nは電磁石となりKを吸引し、圖にあるやうにTは逐次接點1,2,3,4,5,6に接觸することとなる。而してXY回路は交換臺であつて、所望のものを呼出す代りに、所望の命名が實行されるやうに補助機關に始動を與へるのである。此場合6番は前進を命ずるものである。要するに自動交換式電話の交換器と全然同じものである。

無線操縦の原理④

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