無線操縦用汽艇②

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無線操縦兵器

電磁波を送って無人の飛行機、タンク。自動車、軍艦、水雷等を意のままに遠隔せる所より操作せんとするものが所謂無線操縦である。若し吾人の空想を恣にせしむるならば無線操縦用巨砲を製作し、操縦用発振器を飛行機上に托し、射撃指揮官は敵線上を瞰下しつつ、直ちに後方數十粁の放列を左右し得られる事となる。又試に一臺の小型飛行機が爆薬を満載せる十數臺の大型飛行機を無線操縦し、之を空電と化して、敵の政治若しくは工業中心地に落下せしむるの光景を想像したならば、其結果は如何、想像するだに戦慄を覚ゆるのである。かくの如きは単に一片の空想に終らず、着々實現の可能性を強くして来てゐるのである。抑々無線操縦史は「コヒーラー」と共に始まり、1900年頃佛人「ブランリー」は其實驗に着手し、1905年に若干距離を間して電路の開閉と23種の運動を與ふる事に成功した。其後無線電信も發進して眞空球の發明となり、此頃から無線操縦も漸く實驗室から十字街頭に躍出したのである。扨て眞空球による無線電信の發達期が、恰も世界大戦と一致した結果、佛軍は異常なる緊張の下に無線操縦を研究し、1919年頃には十分實用に堪へ得るものを完成したといはれ、また独逸では大戦末期「ワルネミユンデ」の「ハインケル」飛行機工場で、數臺の無線操縦用飛行機を製造したといつている。我國でも日露戦争直前佛の「ガベー」の水雷操縦に刺激せられて初めて研究に着手し、昭和四年には駆逐艦灘風から卯月を操縦して好成績を収め、同五年には日比谷のラヂオ展覧会に無線操縦のタンクを出品して好評を博した。

無線操縦用汽艇②

尚命令の實行如何を知るため、艇尾に信號燈を樹て、前進は青、後退は赤燈に區分して命令の實行と共に點滅する様にしておく。飛行機を操縦する場合には、機に小送信機を装し、電燈の點滅の代りに、一定の信號を自動的に送信せしめ、遠隔操縦者は之を受信して傳達如何を確めねばなるまい。

無線操縦用汽艇②

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