土佐藩砲台跡
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須崎市中町
国の史跡
幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため藩命により文久3年(1863年)7月に着工し1ヶ月半の短時日に完成した。須崎には西・中・東の3ヶ所に台場が築かれたが、その内現存するのはこの西台場のみである。規模が最大で長さ116メートル、砲門7座、内側に弾薬室が7ヶ所あったが、明治初年埋められた。この砲台跡は明治40年、須崎市が払い下げをうけ、公園として保存してきた。当時使用した砲弾が残っている。慶応3年(1867)8月6日、イギリス水兵殺害事件で公使パークスは土佐藩と交渉するため軍艦(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。(看板引用)
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