中岡慎太郎先生頌徳碑

トップページ高知県の観光高知県の歴史人物>中岡慎太郎先生頌徳碑

安田町

中岡慎太郎が大庄屋見習いをしていた時飢餓があり、郷中の小島、和田、平鍋の三部落の住民に餓死者がでるなど特に難渋した。そこで慎太郎は四方に救済の奔走するも食糧が足りず、非常に備えた貯蔵米の官庫を開く事を決意し、高知城下に出向き国老桐間蔵人の門前で一夜を明かし嘆願する。その慎太郎の必死の陳情は、蔵人の心を打ち即座に官庫を開くことの許可を得ることとなり尊い村民の命を救った。村人たちは、慎太郎の善行の感激を忘れることができないとして明治四十四年(1911)この頌徳碑を建てた。

(看板引用)

中岡慎太郎先生頌徳碑

四国の観光へ戻る  高知県の観光へ戻る 
高知県の歴史人物へ戻る