明治期はりまや橋の由来

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藩政初期、豪商播磨屋と富商櫃屋が、互いの往来のために、堀に架橋した木造りの橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになります。時を経た、明治四十一年十月、「はりまや橋」は鋳鉄製の橋に架け替えられます。しかし、大正末期から昭和の初期、高知駅から南の新道の建設に伴い鋳鉄橋は撤去「はりまや橋」も時代の変遷にともない、その姿を変化させていきました。ここに架かる橋の親柱は、架橋当時のもので、永い関心ある人によって保管されていました。後に、三翠園の庭に設置されているところを、当園の御好意により、ここに提供していただき、架橋当時の姿を復元するに至ったものです。

(看板引用)

明治期はりまや橋の由来

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