岡 甫助澄明の墓

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岡 甫助は西野地村の郷士で陣山に住し、幼名を善助といった。文久元年土佐勤王党が結成された時、これに加盟して国事に奔走した。同3年京都に上って姉小路公知の随身となり、4月11日孝明天皇の石清水行幸の際これに供奉し、姉小路横死ののち三条実美の警護役となった。同年8月、三条実美ら七郷の都落ちの際、これに従い護衛の役を果たした。戊辰の役には52才の老骨ながら東征軍迅衝隊員として活躍したが、会津若松を攻めたとき重傷を負い、土佐に帰って養生しのち武知忠助と改名した。明治12年8月26日、病を得て波乱の64才の生涯を終えた。

(看板引用)

岡 甫助澄明の墓

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