一條氏
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高知県四万十市
十三世紀、幡多の地は、京の九条家の荘園でした。一條氏は、それを譲り受け、現在の幡多地域と四万十町の一部にかかる広大な荘園を経営しました。応仁の乱を避けて、一條教房が幡多に下向すると、御所を構え、小京都と呼ばれる文化の基盤を形成。荘園内の土豪たちを支配下におき、幡多を対明貿易の中継地として、勢力の拡大をはかりました。一條房基のとき、津野氏との戦に勝利し、大平氏にも戦勝。房基は娘を安芸国虎に嫁がせ、安芸氏とのつながりを構築するなど、一條氏は公家大名へと変身していきます。しかし、房基の後継・兼定の時代に勢力が衰え、1574年、兼定は家臣たちによって豊後に追放され、翌年、一條氏は長宗我部元親に打倒されます。兼定の子・内政は幡多を離れ、大津御所に転居させられました。
(パンフ引用)
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