石川七財邸跡
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石川七財(1828〜1882)
三菱創業の実業家石川七財は、初名七左衛門、号花渓、文政11年(1828)足軽石川唯七の子としてこの地に生まれた。父を継ぎ足軽身分として下横目、目付方留書役、小荷駄作配役を勤めたが、版籍奉還後明治3年(1870)岩崎弥太郎指揮監督下にあった藩営大阪商会縮小問題が起こり、同商会の内情偵察に赴いてかえって岩崎の人物を知る。ただちに藩職を投げて岩崎の九十九商会に入り、川田小一郎とともに三菱商会の創立に力をつくした。岩崎は「石川は荒開きをするに長じ、川田はそのあと始末をするに長ず」と評価したという。明治8年(1875)三菱が社制を採用した時、社長岩崎のもとに川田と石川は管事となり、石川は汽船関係事業を総管したが、明治15年(1882)業半ばにして没した。
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