宇田耕一邸跡

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宇田耕一(1904〜1957)

政治家・実業家。明治37年10月15日、六田橘太郎の6男として大阪市に生まれる。大正6年(1917)宇田友四朗の養子となる。昭和4年(1929)京都大学卒業、満鉄入社。昭和8年帰高して父の業を継ぎ、土佐電鉄、淀川製鋼社長となる。昭和17年の総選挙に高知県1区で当選、翌21年公職追放、同26年追放解除。同27年の総選挙で改進党から出て当選、同28年落選。昭和30年民主党からでて当選、同31年(1956)12月自由民主党石橋内閣の国務大臣となり、同32年2月岸内閣に留任したが、7月に退任した。三木武夫と、行動を共にし、日中貿易促進議員連盟の中心的な存在であった。昭和32年12月30日病没。

宇田耕一邸跡

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