池内蔵太邸跡

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勤王志士池内蔵太(1841〜1866)

名は定勝、別名に細川左馬之助、細江徳太郎がある。天保元年(1830)当時城北小高坂に生まれた。内蔵太は早くより勤王の志を抱き、江戸に出て安井息軒に学ぶとともに、天下の志士と交わり土佐勤王党結成に尽力したが、帰国後土佐藩政に満足せず文久3年(1863)長州に向かって脱藩する。以後ある時は長州藩の外国船砲撃に参加、また天誅組の挙兵には洋銃隊長として五条(奈良県)代官所を襲撃したが、後鷲家口に敗れて脱出する。さらに禁門の変にも長州勢に加わって戦う。敗れて後辛うじて長州に脱出したが、さらに坂本龍馬の亀山社中に参加。慶応2年(1866)ワイルウェフ号の乗組士官として鹿児島に向かう途中、五島(長崎県)沖で海難に遭い自刃して26才の命を終えた。

池内蔵太邸跡

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