高知海軍航空隊之碑

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高知県南国市

太平洋戦争が熾烈を極めた昭和19年3月日本海軍は偵察搭乗員育成の急務に迫られこの地に偵察練習航空隊として高知海軍航空隊を開設した未曽有の国難に殉ぜんと二千有余の隊員は日夜猛訓練に励み訓練を終えた若鷲達は順次決戦の大空へと飛び立って行った、この間襲来する敵機との対空戦闘や訓練中の事故等で多くの隊員達が犠牲となり無念の涙を呑むという痛ましい事態もあった、然るに戦局は好転の兆しを見せず遂に最後の手段とも言ふべき一機一艦体当たりによる特別攻撃が決行されるに至り20年3月新たに「神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊」が編成され訓練用として使用していた機上作業練習機「白菊」が次々とこの滑走路より飛び立ち南九州鹿屋特攻基地から沖縄作戦に参加した20年5月より6月にわたる四次の攻撃で二十六機。五十二名の隊員が敵艦船に壮烈なる体当たりを敢行し多大の戦果を挙げたるも惜しいかな僅か十七・八歳の少年飛行兵を含む若く尊い生命が沖縄の空に散華した。20年8月太平洋戦争終結と共に僅か一年六か月をもって高知海軍航空隊は解隊され数々の悲話を秘めた短くも悲しいその歴史を閉じたのである今曽ての同志この地に相寄り程時を偲び再びこの悲劇を繰り返すことなく永遠の平和を誓いながら碑に鎮魂の文字を刻み殉国の友のご冥福を祈る。
(石碑文引用)

高知海軍航空隊之碑

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