四国霊場
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弘法大師は、平安朝の初期、入唐して眞言密教を傅へ、高く法幢を日域に樹てた高僧である。その信ずるところの深旨に依りて、玉體安穏の御修法を行じ、或はいろは歌を作り學舎を設けて、民衆教育の普及を計り、或は山野を拓き、沼澤を穿つて、農桑殖産を奬むる等、世出世を化導したるは、眞に枚擧に遑がない。大師の密教は、皇室中心の國家的宗教であると共に、三密實修を旨とし、凡聖不二を高揚する民衆的宗教である。これを以て、上は、畏くも歴朝の尊崇を蒙り、下は、民衆歸依の的となつてゐるにであつて、その高風を欽慕するもの、宗旨教派の如何を問はず、汎く社會の全般に及んで居る。謂はゆる、四國八十八ヵ所は、大師の遺實である。この遺實の全猊を傅へるものであつて、啻に、大師の偉徳鴻業を宣掦するに止まらず、又以て、一般民衆の精神生活上にも、貢獻するところ、尠少ならざるべきを信ずるのである。