弥生式遺跡

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弥生式遺跡とは今から数十年前東京市本郷区の弥生が岡から始めて掘り出された太古の遺物により地名に因んだ名称であって、アイヌ人を東北に駆逐して之に代わった大和民族の祖先の残した遺物である。その遺物はアイヌ式よりも進化して居る。アイヌ式の土器が瓜形の極めて簡単な模様を付し齒朶の葉などを以て捺し付けて型を土器に現はしてあるに、反して弥生式土器は土器全体の形状が美術的に出来ているばかりでなく模様もはるかに複雑にして変化に富み網目形や重円形の紋形や波紋形や其他幾何学的紋様で古拙の間に一種言うべからざる雅致を有して居る。土佐にはこの種類に属する遺物も各地より発掘され長岡郡久礼田村笠川左右山に於て先年掘り出されてをる甕の如きはこの遺跡であると寺石正路氏は説をなしているがアイヌ人種を東北地方に駆逐して之れに我が大和民族の祖先が変ってこの土地に住居するに至れりとせば弥生式の遺物の土中より掘り出さるることは当然でなければならぬ。

弥生式遺跡

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