高知県の美術
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土佐は果して鬼國なるか、地勢僻遠にして上國との交通便ならず、古来罪囚遠流の國とせられて美術の如き尋ぬべき由なきか如し、然れども事実は全く之に反せり、惟ふに土佐の太古草味の時代に於ても其の美術工芸なる銅鉾、銅鉾等の国内各所に残存するあり、更に佛教の伝来後土佐もその餘澤を受け行基、空海の如き高僧相継ぎて來つて伽藍樓閣を建てしより佛教美術燦然として勃興し以来一千百有余年間時に冶亂の為興亡盛衰ありしと雖も佛教の隆盛なるにつれ其技は時代を追ひて益々発達し四国霊場八十八ヵ所佛刹の偉観を呈するに至れり、而して明治維新に際し廃寺滅法の緺に遭遇し又昔日の盛観なしと雖も然も近時復興の機運あり、更に神社建築の方面にありても佛教の影響を受けて往時より間断なき発展を遂げその屋葢、柱楹、楣間の規模に於て結構善美を竭せり、然れば若し杖を曳きてそれ等の堂社に巡遊すれば九十九洋灣頭の山河は天然の美と人工の美とを竭して互に相映発せり、若し夫れ精細に之を探求すれば古くは銅器時代の美術より奈良、弘仁、平安、鎌倉の黄金時代並に足利、桃山徳川の各時代を経て現代美術に至るまで高臺、樓閣甍を併べ名流先賢の遺品完備して今日に傅はれり、其の彫刻、美術工芸の國賓に列するもの八十八、光輝燦然として南海の地を照す。嗚呼盛なる哉、予この郷土を憶ふの念切なるものあり。










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