銅鐸

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銅鐸は一種の不可解なる太古の遺物として考古学者の研究資料となっている。我が国にて始めて発掘せられたるは天智天皇の御代に近江の志賀郡より出で当時その何物なるかを知る人なかりしことが扶桑略記に見えて居る。その後四国、中国、畿内、北九州、遠江、越中等より相継ぎて発掘され山上、丘陵等より一個又は数個重りて出で貝塚又は古墳と共には存せず、形は如何なる形なるかと言えば圓錐形の胴ありてその上部に扁平なる握手あり、両側に羽状の扁平なる鰭の如き扁平板を着く、模様は胴を縦横に線條を以てたすきの如く区劃しその区劃内には単に菱眼式の斜線を交叉せしめたるものと、別に意匠を凝して米を搗く有様や獣を弓にて射れる状や、人が舟に乗りかいを操れる状態を圖し高倉を建てたる有様などを現はせり是等の状より考察すれば既に狩猟時代より農業時代に入れる時代の遺物なることを推知するに難くない。

銅鐸

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