貴族美術(時代の大勢)

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又延喜元年菅公筑紫に貶謫せらるるや嫡子高視又之に連座して土佐に謫せられた、後三年二月菅公薨去後遺臣晴彦は公の衣劍並に遺愛の観音佛を携へて高視を尋ね土佐に下る高視乃ちその遺物を崇めて靈璽とし始めてこの地に鎮祭したこれ潮江天満宮の由来にして靈璽は傅へて現今に至り観音は真如寺に祭祀せられている。尚菅公薨去後潮江村に公を齋き祀れる際築紫の菩提寺に因みて安楽寺という別当寺を興せしが現今の安楽寺の濫觴であって後章に述べてある。

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