貴族美術(時代の大勢)
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更に紀貫之は土佐の国司として来り醍醐天皇の延長八年より朱雀天皇の承平四年まで土佐に留まる五ヶ年であった、その治績は大にあがり庶民悦服した、和歌に長じその京への帰路土佐日記をかきたるが美術に關する遺跡を尋ねるに現今長岡郡國府村比江に比江の礎石と呼ぶ縦一丈横六尺許の大石あり。これが紀貫之の舊邸の磯石として用いしものなりとも云はれ或は国分尼寺の礎石なりとも稱せられる。柱穴徑二尺六寸深さ三寸許ある。邸跡付近より古瓦が発掘せられる、この礎石より南方三町ばかりの所に賓塔寺と公廨屋敷があって北方の比江の山腹に官府より鬼門に当って現存の日吉神社を祭り始めた又東方四町ばかりの所に貫之の観月松があった貫之は更に書に巧であって在任中に書したものは幡多郡松山寺に月の文字の額を書して同寺に之を傅へて居る。然し之は複写らしい。
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