国分寺

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寺院建築

国分寺の礎石は圓柱を嵌入し得るやうに円形に四寸位ひ掘り込んで更に中央に円形のホソの這いる様に更に正方形の穴を掘り込んである。これは天笠様の伽藍造の様式を備えたものである。また布目瓦は東大寺其の他で当時使用した瓦本葺に使用したものと同様であるので疑問の余地はない。国分寺に現存せる礎石より考察するに礎石の柱穴の太さより考ふれば余程太きい建築であった、即ち斬くの如き大建築となれば柱頭で梁を受けるに斗拱がなければ楣を支えることは出来ないし斗組は一手先では弱いから尾垂木を用いて二手先から三手先と進んで美觀を添えると共に堅固にしたものであろう屋根は入母屋造であったものか後には東大寺の如く寄棟造となった。後世元親の建てた金堂も寄棟造になって居るこれは此の時代の流行であった。そして屋根を簡単にする一面に於いて虹梁や蛙股を以て装飾し、丹土にて柱は塗り、軒の隅には風鐸を用い荘麗に意を用いたことであらう。次に土佐に於いて寺院の建てられたものを年代を追ふて挙げてみると
用明天皇の朝、聖徳太子難波に四天王寺を建つるや百済より佛工を迎え造営あり帰途につく時に難波にて暴風雨に逢ひ土佐に漂着し崇峻天皇の朝、百済への帰途の安全を祈り薬師如来を彫刻し吾川郡中村郷(現今秋山村)に種間寺を建立した、而して同寺は村上天皇の時藤原信家勅使となり勅額を賜へる古實があるが土佐史に記録せられし寺院の始めである。

国分寺

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